本文へ移動

沿革

沿革
弊社は明治15年に、茨城県桜川市真壁町、真壁石産地にて創業しました。
以来、代々引き継がれてきた暖簾を守り、現在では墓石・燈籠等の加工製造・販売を行っています。
ここでは、これまでの弊社の歩みをご紹介いたします。
海老原石材店の歴史
明治15年~
明治15年~
─ 創業


初代 海老原 甚三郎
武士として生まれ、江戸中期から現在地桜川市真壁町古城に居住し、海老原家五代目として笠間藩主に仕えました。明治維新の際には、警察官として加波山事件を取締中に石の鉱脈を見つけ、石材業を創業しました。武士として育つ甚三郎は、公の仕事や近隣の人たちを支えながら教育にも熱心で、海老原の土地は大半を学校やその他に寄附しています。
その後、婿入りした二代目に石材店を任せました。
明治37年~
明治37年~
─ 工場を造設


二代目 海老原 雄次郎

(旧姓安田 海老原ひさに婿入り)
初代が興した石材業を、店の規模、人材育成に終始熱心に取り組みました。
日露戦争から戻ると、現店舗がある場所に工場を造り、灯篭製作を主とし、現在の春日灯篭は『海老原型』と呼ばれていました。仕事に厳しい親方で、ここから独立した弟子は数知れません。仕事一筋の人生でした。
明治37年~
明治37年~
明治37年~
昭和19年~
昭和19年~

三代目 海老原 作次郎

(旧姓塚田 海老原はつに婿入り)
山で、真壁石の採掘を再開しました。戦前~戦中・戦後、多くの石材店が閉店する中、当店だけは石臼を北海道方面に出荷し、暖簾を守りました。電車に揺られ、お得意先をコツコツとまわり、採掘現場に入ると1日中仕事に打ち込みました。厳しい二代目に仕えながら、静かな性格故に暖簾を守った職業病(珪肺)で亡くなりました。朝から晩までよく働いた三代目でした。
昭和19年~
昭和19年~
昭和19年~
昭和48年~
昭和48年~
─ 谷貝石材団地に工場新設移転


四代目 海老原 雄幸
公害問題で、街中では手狭にもなると、現在の谷貝石材団地に工場を移転し、機械化を進めました。世の中のバブルと共に華々しく石材業が活気に満ちた時代です。雄幸の時に工場・敷地面積を拡大し、その後の基盤を作りました。また、石材店の件数が大幅に増えた時代でもあります。雄幸は人柄が良く、誰からも慕われ、人望の厚い人でした。
昭和48年~
昭和48年~
昭和48年~
平成8年~現在
平成8年~現在

五代目 海老原 則夫

(6代目内定)
中国材との競争激化時代と共に、石材商社が数多く出て、安価の中国材に押され、国産が厳しくなってきました。しかし、歴史の無い中国材より、代々守る国産で現在も頑張っております。「一生に一度の終の棲家に、歴史ある真壁石を出来るだけの価格にて提供を」をモットーに、現在跡取である海老原稔浩と共に暖簾を守っております。
平成8年~現在
平成8年~現在
平成8年~現在
創業当時より石の数量を計算するのは『切です
大正6年当時の価格表
大正6年 当時の価格表(虫食い部分は表具店にて補修してもらいました)
石の計算は尺貫法を用います。
1尺は30.3cmで、
(幅)1尺×(奥行)1尺×(高)1尺=1切
1切×石の単価(石種により単価は変化します)=石代金となります。
お墓を建立する際の参考にしてみてはいかがでしょうか?

大正6年当時の石材組合価格表を見ての通り○切~○切まではいくら、というように、あくまでも『切』、石は何面を切っていくらか?と計算してまいりました。

ところが昨今、中国材が出て、石を切る業者数が減少し、対比して、梱包を開けるだけの中国梱包業者数が増え、『切⇒才』に変化してしまいました!!!年齢をカウントする時の才は、石材とは無縁です。非常に危惧しております。我々の怠慢と反省するしかありません。
大東亜戦争当時も、徒弟制度を守るため、石臼等を出荷し営業を続けてきた先祖の思いに、切の文字は守り続けたいです。

注**『才』を使用する石材業者がおりましたら、お気をつけください。
石材は営業のみ、または、中国のみで、石に関しては素人ということになります。
価格だけで勝負しているお店は、長く続きません。
代表番号『0215=ふいごの由来
鞴(ふいご)
鞴(ふいご)
鞴(ふいご)
11月8日は全国的にふいご祭りです。私も小さい頃はよく見ておりました。
当店の代表電話番号『0215』も、二代目が石を扱う者として一番大切な『ふいご(215)』のごろ合わせから選び、=合計数8の末広がりで縁起が良いことから『0215』にした、と聞いております。

石工の弟子たちは、早朝一番、前日使ったノミやタタキ等の道具に焼きを入れるために、ふいご場の仕事から始めました。枯松葉の上に木切れを載せて火をつけ、よく燃えた時点で松炭を加え、炭が赤らんできたのを見計らって、片手でコークスを十能で入れ、片方の手でふいごを力強く吹きます。コークスの火加減を見てノミを入れ、親方や兄弟子がノミの具合を確かめ、その先端をノミの箸で金床に載せ、小槌で叩き尖らせました。これが、弟子の早朝日課です。
TOPへ戻る